紙小の想い

ごあいさつ

紙小は江戸時代後期1817年の創業以来、二百年を超える長きに渡り
日本の伝統と文化を守り続けてまいりました。

お客様の雰囲気を大切にし、お召しになる時と場所に合わせたコーディネイトを提案し、
おひとりおひとりの目的にあった着物をお見立てする。
お客様の立場に立ち、お客様の身になって真心を尽くすことで、
お客様と親身にお付き合いをさせていただき、信頼と実績を築きあげてまいりました。

日常に着ていた着物が洋服にとって代わった現代においても、
着物に袖を通される瞬間のそのときめきや喜びは、昔も今も変わらないものです。
着物にはお客様の人生が重なります。
紙小は着物を通して、常にお客様の人生に寄り添っていきたいと願っております。

六代に渡り受け継がれてきたその思いを忘れず、積み重ねた歴史を感謝でお返しできるよう
これから先も本物の着物をお届けしてまいります。

紙小一同

紙小の想い

「ふと、タンスの引き出しを開け
一枚の"きもの”に手を触れると
ほのぼのと母のぬくもりを感じ、あの日あの時を、
そして遠い想い出がこみ上げて参ります」

このお話をお聞きして
一枚の「きもの」でも皆様に大切にされ、
人の心を幸せの香りで包むものだと思います時
「きもの」を扱う者の幸せと責任を感じます

ただ売るだけの店でなく
創る者の心もお伝えし
お召しになる方の身になってお世話したい
個性を生かす「きもの」をお届けしたい
それが私共の願いです

紙小物語

小川小平が呉服商を 開業

江戸時代後期、1817年(文化14年)
博多麹屋町において、小川小平が呉服商を
開業しました。

三代目 小川小三次に受け継がれる

二代目 小川小七 が跡を継ぎ
三代目 小川小三次に受け継がれます。
太宰府天満宮の参道を登りつめたところにある
第一鳥居は、小川小三次が寄贈したものです。
「福岡市博多麹屋町 小川小三次」の名前が
残っています。

遊園地「向島」開園記念の灯籠

「博多町家寄進高灯籠」
明治33年(1900年)遊園地「向島」の開園を記念し、当時の福博の商家や魚市場により住吉神社に灯籠が寄進されました。建築協力者として紙小呉服店の名前も刻まれています。
※昭和29年(1954年)にキャナルシティ博多の河畔にある清流公園に移されました。

店を麹屋町から土居町に移す

四代目小川三郎、ヤエの代となり、店を麹屋町から
土居町に移しました。
大正後期になります。

山荘紙小

その後の大戦や福岡大空襲などで一時疎開したものの、終戦後は高宮の自宅で「山荘紙小」として
営業を続けました。

高砂に移転

現在の高砂に移転します。
当時では珍しい「自動ドア」がついておりました。

東京銀座の並木通りのお店

昭和40年代には東京銀座の並木通りにも
店がありました。

四代目ヤエ、大女優杉村春子氏と

四代目ヤエは昭和の大女優杉村春子氏と懇意にしておりました。当時頻繁に手紙のやりとりをしており、その手紙の数々は現在早稲田大学の演劇博物館に残されております。
また、NHKのハイビジョン特集「女優 杉村春子への手紙〜1500通につづられた心の軌跡〜」(初回放送:2007年11月25日放送 BSハイビジョン ※抜粋)の中でも紹介されています。

昭和の大女優杉村春子氏と

五代目古川太一、多栄子に引き継がれます。
2017年、杉村春子氏没10周年を記念した文学座主催のしのぶ会にも招かれ多栄子が母ヤエと杉村春子氏の交流の思い出の挨拶をさせていただきました。
写真の浴衣は杉村春子氏の浴衣を京都藤井絞様に依頼して再現したものです。写真は俳優田中健氏と。

俳優田中健氏と

現在 六代目小川(古川)清一に受け継がれています。
高砂の店は建て替えて現在に至ります。
2016年3月に創業200年を迎えました。

六代目小川(古川)清一

創業200年目には、警固神社で記念展を開催しました。長年お付き合いさせていただいたお客様によるテープカットで幕を開け数百人のご来場をいただきました。西日本新聞からも取材を受けました。

紙小はこの先もずっと、
日本の伝統と着物文化を守り続け、お客様へ満足をお届けしてまいります。